「玄甲舎」とは茶室と居宅、二つの顔をもつ建築遺産で
弘化4年(1847年)に田丸城主 久野丹波守(くのた たんばのかみ)の家老で
畿内の茶人三傑の一人とうたわれた金森得水(かなもり とくすい)によって
設計・建築された金森得水別邸です。

茶室と迎賓用を兼ねた数寄屋と家族が生活を営む居宅で構成された
数寄屋造りが特徴です。

またこちらは町指定文化財に定められています。